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東京高等裁判所 昭和51年(ネ)1257号 判決 1977年5月17日

控訴人 清水孝

右訴訟代理人弁護士 深沢守

同 大内圀子

同 深沢隆之

同 井上嶽

被控訴人 田中重五

右訴訟代理人弁護士 板倉貫

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人訴訟代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」旨の判決を求め、被控訴人訴訟代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張及び証拠関係は、次のとおり付加訂正するほか原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

(控訴人訴訟代理人の陳述)

一  原判決事実摘示第二の一3(一)の請求原因事実中、控訴人と被控訴人との間において昭和四七年四月二一日被控訴人の主張するような内容の覚書(甲第三号証の一、二)が作成されたことは認める。

二  従前主張した錯誤の抗弁(原判決事実摘示第二の三1)を次のとおり訂正する。

「仮りに控訴人と被控訴人との間において前記覚書の内容のとおりの約定が成立し、その中にある「四月六日の約定」が金三六〇万円の違約金の約定を意味するものであったとしても、控訴人が内心において「四月六日の約定」と観念していたのは、次のような合意であった。すなわち、控訴人が当初の支払期日である昭和四七年三月二二日に本件土地の売買代金を支払えなかったところから、同月下旬から四月上旬にかけて、控訴人と被控訴人との間で売買代金の支払などにつき数回に亘って話合いが行われ、その結果として、両者間に、(1)控訴人は手附金一〇〇万円を放棄すること、(2)被控訴人は約一か月ほど支払期日を延期すること、(3)その間において、控訴人は、自ら資金を調達するか、あるいは、控訴人が仲介人となって新らたに買主を探すかして、被控訴人に対する売買代金の決済を図ること、(4)控訴人が売買代金の決済をすることができないときは、もはや本件土地についてなんらの関係も持ちえず、被控訴人が本件土地を他に売却するなどの処理をしても、これに対し一切の異議を述べないこと、(5)ただし、右の場合においても、控訴人は被控訴人のために本件土地の整地をすることなどが合意されたのである。控訴人は、前記覚書(甲第三号証の一、二)中の「四月六日の約定」とは、右(1)ないし(5)の合意のことと思い違いをして、被控訴人に深く問い質すこともしないまま、右覚書に署名した次第である。したがって、右覚書記載の約定は明らかに控訴人の錯誤によるものであって、無効である。

三  仮りに被控訴人主張の違約金の約定が成立し、控訴人に対する拘束力を有するとしても、控訴人が右約定に基づき違約金の支払義務を負担するためには、控訴人が売買代金支払義務の履行を遅滞したことを要する。しかるに、本件土地の売買契約に基づく控訴人の売買代金支払義務と被控訴人の所有権移転及びその登記義務とは同時履行の関係に立ち、被控訴人が売買代金支払義務について控訴人を遅滞に付するためには、自己の義務の履行の提供をしなければならないところ、被控訴人は自己の義務の履行の提供をしなかったものであり、また、本件において右履行の提供を必要としない特別の事情も存在しなかったから、控訴人は売買代金支払義務について履行遅滞の責を免れることができた。

四  原判決事実摘示三抗弁の2を撤回する。

(被控訴人訴訟代理人の陳述)

一  前記二の控訴人の主張事実は争う。

二  前記三の控訴人の主張事実は争う。

本件土地の売買代金の支払について、控訴人は、(1)当初の支払期日である昭和四七年三月二二日の前日、被控訴人に対し、電話で、支払ができない旨通知し、(2)延期された支払期日である同年四月二一日にも、同日午前一〇時ころになって、被控訴人に対し、電話で、支払ができないと断ってきており、(3)さらに延期された支払期日である同年五月二三日の前日に、被控訴人が控訴人に支払の能否を問い合わせたところ、控訴人は支払えない旨明言したという実情にある。このように買主が売買代金支払義務を履行しない意思を明確にした場合には、売主が自己の義務の履行の提供をしなくても、買主は売買代金支払義務の履行遅滞の責任を免れえないものである。

(証拠関係)《省略》

理由

一  (本件土地売買契約の成立)

被控訴人と控訴人との間において、昭和四七年二月一四日、被控訴人が控訴人に対し、本件土地を代金一八〇〇万円、支払期日同年三月二二日と定めて売り渡す旨の売買契約が締結されたことは当事者間に争いがない。

二  (手附金の有無)

被控訴人は、本件土地の売買契約において手附金の授受はなかったと主張し、これに対し、控訴人は、手附金一〇〇万円を被控訴人に交付したと主張する。そして、手附金授受の有無は、本件の主要な争点である違約金の約定の成否の認定に密接に関連することがらであるので、ここで手附金授受の有無について検討する。

《証拠省略》を総合すれば、次の事実を認めることができる。

被控訴人は、不動産仲介などを業とする控訴人から本件土地買受けの申込を受けて、数回に亘り、契約条件に関する協議を行い、昭和四七年二月一二、三日ころ、東京都内国際観光ホテルで売買の大綱を取り決めた。その際、控訴人が手附金支払の件を持ち出したが、被控訴人は手附金の必要はないとして、これを断った。同月一四日、被控訴人と控訴人は、当時被控訴人がその理事長に就任していた林業信用基金の理事長室(基金理事長室)において、予め控訴人が市販の契約書用紙を用いて作成してきた二通の契約書に調印する運びとなった。右二通の契約書は、第二条の手附金額欄、第五条の残代金額欄以外は全く同一の契約文書から成っていたが、そのうち一通の手附金額は空欄のままであり、かつ、残代金額は金一八〇〇万円と記載されており(甲第一号証の一。以下「甲契約書」という。)、他の一通の手附金額欄は金一〇〇万円、残代金額欄は金一七〇〇万円と記載され、あたかも控訴人から被控訴人に対し手附金一〇〇万円が交付されたような内容の文書となっていた(乙第一号証。以下「乙契約書」という。)。そして、被控訴人は、甲契約書を上に、乙契約書を下にして、その間に複写用炭酸紙を挾み、甲契約書の売主欄にボールペンを用いて署名し、これにより、乙契約書にも同一の署名を顕出させた。その際、被控訴人は、甲乙両契約書の文言が全部同一であると考えていたため、甲契約書の下に重ねられた乙契約書の文言をことさら確かめることはしなかった。また、被控訴人は、右署名の際、同じく複写式で、甲乙両契約書の本件土地の表示のうち地番に枝番を付加し、かつ、地積の上に「約」の文字を冠したが、右両契約書の作成日付の訂正、被控訴人名下の押印、収入印紙の消印、右両契約書間の割印などの事務は、同席した控訴人方従業員東こと東迫茂に印を預けて処理させたので、被控訴人自身が押印などの機会に乙契約書中の手附金授受文言に気付くことも不可能であった。

《証拠判断省略》

右認定事実によれば、乙第一号証(乙契約書)中手附金額及び残代金額欄以外の部分は真正に成立したものと認められるが、手附金額欄及び残代金額欄は被控訴人の意思に基づいて真正に成立したものではないと認めるべきであるから、同号証をもって手附金授受の事実を肯認する資料とすることはできない。また、《証拠省略》も、控訴人が昭和四七年二月一二日に金五〇万円の預金を払い戻したことを証するものではあっても、それが直ちに本件手附金の支払と結び付くものではなく、乙第三号証は真正に成立したことを認めうる証拠がなく、さらに、控訴人の主張に添うような《証拠省略》は信用することができない。かえって、前記認定事実と原審における被控訴人本人尋問の結果によれば、本件土地の売買契約においては、手附金の授受はなかったことが認められる。

三  (違約金の約定の成否)

1  《証拠省略》を総合すれば、次の事実を認めることができる。

控訴人は、当初の支払期日である昭和四七年三月二二日に売買代金を調達して支払うことができなかった(控訴人が右同日までに売買代金を支払わなかったことは当事者間に争いがない。)。のみならず、控訴人は、被控訴人から、本件土地に宅地造成の廃土を投棄することを許容されただけで、本件土地の引渡を受けたものでないにもかかわらず、遅くとも昭和四七年三月二八日までの間に、本件土地の南側部分(後記南側隣接地との境界線から幅約三メートル位の土地部分)を、その南側に隣接する都倉直義所有地上に建築中の共同住宅(建築主は都倉、名義上の施工者は西川文雄であったが、右建築の施工を実際に主宰したのは控訴人であった。)の敷地の一部として使用する権利を完全に取得したような外観を作出するため、被控訴人に無断で本件土地の南側部分を有刺鉄線で囲い込むという挙に出た(これは、先に昭和四六年一一月二九日付で、練馬区長から都倉及び西川に対し、前記建築が建築基準法所定の空地地区又及び高度地区内の建築物の制限に牴触したことを理由として発せられた工事停止命令の解除を得るための弥縫策であった。)。このため、被控訴人は控訴人に対する不信感を募らせ、売買代金の支払についてこれを確保する方法を講ずる必要があるとして、昭和四七年四月六日午後五時ころ、控訴人を基金理事室に呼び、売買代金の支払期日を同月二一日まで延期する一方、控訴人が右期日に代金を支払えない場合には、違約金として金三六〇万円(売買代金額の二割に相当する。)を支払う旨を約諾させ、被控訴人が本文及び控訴人の氏名を記載したその旨の念書(甲第二号証)に押印させ、これを差し入れさせた。

このように認められる。

2(一)  控訴人は、昭和四七年四月六日は長野県佐久市浅間町の実母フミ方に滞在中であって、右同日被控訴人に対し違約金の支払を約することはありえなかった旨主張し、《証拠省略》によれば、控訴人が昭和四七年四月上旬、佐久市の実母方に預けていた娘を東京の幼稚園に入園させるため、引取りに出向き、同所に三晩位宿泊したことが窺われるが、《証拠省略》によっても、控訴人の佐久市滞在及びその前後の正確な日程は不明瞭であり、四月六日がその日程の中に含まれていたとする《証拠省略》はそのまま信用し難いものがあるから、《証拠省略》は、控訴人が四月六日午後五時ころの時点において被控訴人と面接して違約金の支払を約諾した旨の前認定を妨げるものではないというべきである。

(二)  《証拠省略》によれば、前記念書(甲第二号証)の控訴人名下の印影は控訴人の実印によるものでないことが認められるが、《証拠省略》によれば、右印影は、控訴人が右念書を読んだうえ、所持の印を用いて顕出させたものであることが明らかであるから、右念書は控訴人の意思に基づいて真正に作成されたものであると認めるべきである。

(三)  控訴人が手附金一〇〇万円を被控訴人に交付した事実を肯認できないことは前記二で説示したとおりであるから、手附金授受の事実を根拠に、違約金の約定は締結されなかったと推論することが許されないことはいうまでもない。

(四)  他に前記1の認定を左右するに足る証拠はない。

四  (昭和四七年四月二一日の約定について)

1  《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。

控訴人は、昭和四七年四月二一日の延期された支払期日にも、売買代金を調達できないため、これを支払うことができなかった(控訴人が右同日までに売買代金を支払わなかったことは当事者間に争いがない。)。そこで、被控訴人は、国際観光ホテルにおいて、控訴人と今後における契約の履行に関して協議し、その結果、両者間において次のとおりの約定が成立し、その旨の覚書(甲第三号証の一、二)が作成された。

(1)  控訴人は昭和四七年五月二三日に売買代金一八〇〇万円を支払う。

(2)  控訴人が右金額を支払えないときは、右同日内金として金八〇〇万円を支払い、同年六月末日残金を支払う。

(3)  右(2)の約定を履行できなかった場合は、四月六日の約定に従う。

(被控訴人と控訴人との間において昭和四七年四月二一日右のような内容の覚書が作成されたことは当事者間に争いがない。)。

このように認められる。

そして、《証拠省略》によれば、右約定の(3)にいう「四月六日の約定」とは、前記三認定の違約金の約定のことであり、控訴人は、売買代金を支払わなかったときは違約金を支払うことをあらためて確認して、右覚書に署名したことが認められる。

2(一)  控訴人本人が原審において「四月六日の約定」の意味につき供述している部分は、その趣旨がすこぶる不明瞭であって、右1の認定を左右するに足りない。

(二)  控訴人本人は、当審において、「当初の支払期日の到来する以前である昭和四七年三月二〇日ころ、控訴人は、被控訴人に面接して、控訴人が売買代金を調達できないでいる実情を説明して、被控訴人から支払期日の延期を得る一方、手附金一〇〇万円の返還請求権を放棄した。そして、控訴人が同月下旬から同年四月下旬にかけて被控訴人と電話による折衝を行った結果、控訴人が被控訴人からあらためて本件土地を代金一八〇〇万円で買い受けるか、または、控訴人において本件土地の新らたな買主を探し、その者と被控訴人との間の売買を仲介するかのいずれかの方法によって事態を解決する旨の合意に到達した。前記覚書(1)(2)は、右の控訴人被控訴人間の新らたな売買契約の代金一八〇〇万円の支払方法に関するものである。」旨供述する。しかし、控訴人本人の供述するような合意が控訴人と被控訴人間に成立したとの点について、ほかに適確な裏付けがあるわけではなく、右供述を採って直ちに前記覚書(1)(2)が控訴人本人のいう趣旨の約定であるとは認め難い。むしろ、前記覚書の文言並びに覚書作成の経緯にかんがみれば、前記覚書(1)(2)は、本件土地売買契約そのものの代金の支払に関し、その方法と期限を定めたものと認めるのが相当である。

3  控訴人は、前記覚書(3)の「四月六日の約定」の意味につき錯誤があったので、右覚書による約定は無効であると主張する。しかし、右主張は控訴人と被控訴人との間において、昭和四七年三月下旬から四月上旬にかけて売買代金の支払などに関し話合いが行われた結果、控訴人の主張するような合意(本判決事実摘示中の控訴人訴訟代理人の陳述の項の二参照)が成立したことを前提とするものであるところ、右合意成立の主張を肯認するに足る証拠は見出せない(右主張に一部照応するような《証拠省略》は信用できないこと前記2(二)で説示したとおりである。)。のみならず「四月六日の約定」といえば、他に右約定と異なる約定が同じころ取り交わされた形跡も認められない本件においては、控訴人がわざわざ念書まで差し入れてした金三六〇万円に上る多額の違約金の支払約定を指称するものであることは、ほとんど誤認混同する余地がないほどに明白であったと認められる。それ故、控訴人の錯誤の抗弁は採用できない。

五  (控訴人の履行遅滞について)

《証拠省略》によれば、控訴人が昭和四七年五月二三日の支払期日に売買代金一八〇〇万円またはその内金としての金八〇〇万円を支払わなかったことが認められる。

ところで、本件土地の売買契約において、控訴人の売買代金支払義務と被控訴人の所有権移転登記義務とが同時履行の関係に立つことは、契約の性質上当然であり(本件土地の売買契約において別段の意思表示があったことが認められない以上、本件土地の所有権そのものは、契約の成立と同時に、被控訴人から控訴人に移転したものと解するのが相当であって、所有権を移転すべき義務ははじめから発生しなかったから、右義務と売買代金支払義務の同時履行関係は、成立の前提を欠いていたものというべきである。)、このような場合、当事者の一方は、相手方がその債務の履行を提供するまでは、自己の債務の履行を拒むことができ、自己の債務について履行遅滞の責を免れることができるのであるが、当事者の一方が自己の債務を履行しない意思が明確な場合には、相手方においてその債務の履行を提供しなくても、右当事者の一方は、自己の債務の不履行につき履行遅滞の責を免れることができないものと解される(最高裁判所第三小法廷昭和四一年三月二二日判決、民集二〇巻三号四六八頁参照)。そして、不動産の買主が、売買代金を支払うための手持の資金を欠き、他からこれを調達することもできないため、支払期日に代金を支払えないことが確実であり、その旨を売主に通知したような場合に、なお売主に所有権移転登記義務の履行の提供を要求し、売主が右義務の履行の提供をしなければ、買主に対し代金支払義務の履行遅滞の責任を問えないとすることは、同時履行関係にある双方当事者間の利害の調整として合理的でなく、むしろ、同時履行関係の依拠する衡平の理念に照らせば、買主が前記のような事情にある場合は、前述の当事者の一方が自己の債務を履行しない意思が明確な場合にあたるものとして、売主は自己の債務の履行の提供をしなくても、買主に対し代金支払義務の履行遅滞の責任を追及することができるものと解するのが相当である。

本件において、《証拠省略》によれば、本件土地の売買契約締結当時、控訴人には、売買代金一八〇〇万円を支払うべき手持の資金がなく、右代金はもっぱら他から融資を受けて支払う目算であったが、その資金調達が仲々実現せず、そのために支払期日が再三に亘って延期されたにもかかわらず、右の事態は改善されず、昭和四七年五月二三日の支払期日においても、売買代金全額はおろか前記約定による内金八〇〇万円についてもその支払いの用意は全くなく、控訴人は、その前日である二二日被控訴人から支払の能否の問合わせの電話がきたとき、被控訴人に対し、支払ができない旨を通知したことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

右認定事実によれば、本件は控訴人が代金支払義務を履行しない意思が明確な場合に属するから、被控訴人においてその債務の履行を提供しなくても、控訴人は代金支払義務の不履行につき履行遅滞の責を免れることはできないものというべきである。

六  (結論)

以上によれば、控訴人は被控訴人に対し違約金三六〇万円の支払義務があるから、控訴人に対し右違約金三六〇万円及びこれに対する遅滞の効力を生じた日(違約金支払義務は、債務の性質上、発生と同時に履行期に達するものと解するのが相当である。)の後である昭和四七年一〇月四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める被控訴人の本訴請求は正当として認容すべきであり、結局これと同趣旨に出た原判決は相当であって、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中村治朗 裁判官 蕪山厳 髙木積夫)

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